この地方をおそった豪雨災害のサイクルが短くなってきています。
昭和47年(1972年)
小原村(現豊田市)を中心とした西三河地方および岐阜県東濃地方で局地的な集中豪雨が発生し、洪水および土砂災害で多数の被害が起きました。特にこの流域は過去に水害はあったものの土砂災害は小規模なレベルで発生したのみだったため住民にとっては初めての経験となり、その中心である猿投山などで山崩れが起こり麓民家を襲いました。愛知で死者行方不明者68人・全壊家屋271戸(愛知県公表)、岐阜で死者27人(岐阜県公表)。
その17年後の平成元年(1989年)
台風22号の影響で、愛知県は三河山間部を中心に激しい雨に見舞われました。特に豊田市小渡町(旧東加茂郡旭町)では時間最大雨量95ミリという記録的な集中豪雨となり、各所で土石流や山崩れが発生、死者1名全壊家屋18戸の災害となりました。
その11年後の平成12年(2000年)
2000年9月7日頃から本州付近に前線が停滞し、11日から12日にかけて、台風14号の東側を回る暖湿気流が前線に向かって流れ込んだため、前線の活動が活発となり、愛知、三重、岐阜県の東海地方を中心に記録的な大雨となりました。 11日夕方ごろから、名古屋市をはじめとする東海地方を中心とした広範囲にわたり大きな被害をもたらし、2日間の積算降水量は多いところで600ミリ前後に上りました。矢作ダムの放水により、小渡幼稚園は流失し、小渡小学校も1階の天井近くまで浸水、藤沢・西広瀬でも矢作川が増水して道路にまで流れ、家屋の浸水もありました。
その8年後の平成20年(2008年)
愛知県では、8月28日から一部の地域で局地的な豪雨に見舞われました。8月28日の日中には、豊橋市で豪雨を記録し、柳生川や内張川が氾濫し、182ヶ所の道路が冠水するなど被害を受け、1,141世帯に避難勧告が出されました。8月28日夜から8月29日の未明かけては、額田郡幸田町で広田川が約40mにわたって決壊し、169世帯に避難勧告が出されたほか、床下浸水64戸、床上浸水55戸の被害が出ました。また、26ヶ所で道路冠水し、田畑約210ヘクタールが水没。このほか、知立市でも214世帯に避難勧告が出されました。