東日本大震災から6年。心に響いたオリンピック招致での佐藤さんのスピーチ…

東京オリンピックが決まるプレゼンで、佐藤真海(まみ)さんが次のような内容のスピーチをされました。

【NEVER まとめ】より

 『19歳のときに私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もやっていました。また、チアリーダーでもありました。そんなとき、足首に痛みを感じ、骨肉腫であることが分かりました。そして、たった数週間のうちに足を失ってしまったのです。その過酷な状況に私は絶望のふちに沈みました。でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。私は目標を決め、それを乗り越えることに喜びを感じ始めたのです。そして、新しい自信が生まれたのです。私にとって大切なことは、私が持っているものであって、失ったものではない、ということに気づくことができたんです。
 しかし、立ち直った私に再び試練が訪れました。2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲ったのです。家族の無事がわかるまでの6日間の私の苦しみに比べたら、多くの被災

者の深い悲しみは計り知れません。私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。食料も持っていきました。他のアスリートたちも同じことをしました。私たちは一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。そのとき、私は初めてスポーツの真の力をまの当たりにしたのです。スポーツには、新たな夢と笑顔を育む力、希望をもたらす力、人々を結びつける力があるのです。』

 佐藤さんは、帰国後「夢は続く」と色紙に記しました。大きな二つの困難を乗り越えた佐藤さんを支えたのは、「失ったもの、自分にないものを嘆くのではなく、もっているものをいかに高めていくか」という夢に向かって歩み続ける強い信念でした。

【NEVER まとめ】より

 

そして、高円宮妃久子さまが語られた言葉は”被災地支援に対するお礼”。

 『2011年、日本は大きな地震と津波に襲われました。その際、IOC及びスポーツ界の皆さまは、支援の手を差し伸べてくださいました。日本は、そのご厚意を決して忘れることはありません。その御礼の意味でも、私たちは、将来に向かって歩き出したいと願っています。』

2020年、復興オリンピックが東京で開催されることとなりました。

東日本大震災から6年。
3月11日、復興と防災、オリンピックについて考えましょう。